整形、偽名、15年の逃亡――それでも逃れられなかった罪。
1980年代、ひとりの女性が殺人を犯し、そのまま姿を消した。名前は福田和子。
彼女はただの犯罪者ではない。整形で顔を変え、偽名で各地を転々とし、まるでドラマのような逃亡生活を15年も続けた“稀代の逃亡犯”だ。
そして今なお語り継がれるのが、彼女の不思議な魅力と印象的な――「危ない危ない」。
本記事では、福田和子という人物の生い立ちから、事件の真相、家族との複雑な関係、そして逃亡生活の全貌までを振り返る。
彼女は一体、何者だったのか? なぜ、逃げ続けることができたのか? そして、何から逃げていたのか――。
福田和子とは何者か?~結局、何した?~
福田和子という名前を耳にすると、まず思い浮かぶのはその衝撃的な逃亡劇と、何とも印象的な口癖ではありませんが「危ない危ない」というフレーズではないでしょうか。
1982年、福田和子は同僚を殺害。その後逃亡生活を始めました。
しかし福田和子は、整形手術を受け、身分を偽りながら15年もの間逃げ続けたのです。警察の目をかいくぐりながら各地を転々とし、偽名で働き、普通の主婦を装って生活していました。結局、彼女が捕まったのは1997年。まるでドラマのようなその逃亡劇は、多くの人々の関心を集め続けています。
福田和子の過去に何があったのか?
福田和子は1948年、広島県に生まれました。幼少期は貧しい家庭で育ち、決して恵まれた環境とは言えなかったようです。彼女の父親は厳格な軍人で、母親は家庭にこもるタイプ。子ども時代から愛情に飢えていたとされ、人の気を引くために嘘をつく癖があったとも言われています。
若くして夜の世界に足を踏み入れ、男性に頼って生きることが多かった福田和子。10代後半で最初の結婚をし、子どもをもうけますが、複数回の離婚と再婚を経て家庭は安定しませんでした。彼女の人生には常に“男”が関わっており、その関係が事件にもつながっていったのです。
福田和子の旦那とその罪:家族は共犯だったのか?
福田和子の夫についても注目が集まります。事件当時、彼女はある男性と事実婚のような関係にありましたが、その人物が事件に直接関与していたかどうかは明確ではありません。夫とされる男性は、彼女の逃亡に協力したという噂もありましたが、最終的に共犯として処罰されることはありませんでした。
実際、警察の捜査では「知らなかった」「関与していない」という証言が認められ、罪には問われていません。ただし、福田和子が家庭を持ち、子どもを育てながらその裏で別の男性と関係を持ち、事件を起こしたという事実は、彼女の複雑な人間関係を浮き彫りにしています。
息子はおかしい?福田和子の家族との関係
「福田和子 息子 おかしい」という検索ワードが出てくるほど、息子に対する関心も高いようです。彼女には複数の子どもがいましたが、事件後も家族との関係は続いていました。中でも注目されたのは、長男の存在。彼はテレビのインタビューにも応じており、母に対して一定の理解を示していた姿が印象的でした。
一部では「共依存の関係だったのでは」とも言われており、息子の発言や態度に対して違和感を覚える人も少なくありません。ただ、犯罪者の家族として生きる重圧の中で、母を思う気持ちと社会からの目の狭間で揺れ動いていたのは事実でしょう。彼もまた被害者であるのかもしれません。
逃亡ルートと潜伏生活:福田和子はなぜ捕まらなかった?
福田和子の逃亡ルートは実に巧妙でした。事件直後に広島を離れ、まずは福井へと向かいます。その後、愛媛・熊本・京都・富山などを転々とし、各地で偽名を使いながら生活していました。途中で整形手術を受け、外見を変えたことで警察もなかなか特定できなかったのです。
また、行く先々で男性と親密な関係を築き、その人間関係をうまく利用していました。小料理屋で働いたり、介護施設に勤務したりと、地域に溶け込みながら生活していたため、周囲の人々もまさか指名手配犯だとは思わなかったようです。
和菓子屋「松栄堂」に潜んでいた!その時、福田和子は…
逃亡生活の後半、福田和子は愛媛県松山市の和菓子屋「松栄堂」で働いていました。偽名を使い、真面目に勤務していたとのこと。店主や同僚からの評判もよく、まさか殺人犯とは誰も思っていなかったと言います。
彼女は販売員として接客も担当し、地元の常連客と親しく会話することもあったそうです。松栄堂での生活は、福田和子が「普通の女性」として振る舞った象徴とも言えます。ただ、その一見平穏な日常の裏には、常に警察の目を恐れる緊張感があったはずです。
福田和子が通った「おでん屋」の謎:なぜ通い続けたのか?
福田和子が逮捕されるきっかけとなったのが、松山市内のおでん屋でした。彼女はこの店に頻繁に通っており、女将とも親しい間柄だったとされます。しかし、ある日女将がテレビで福田和子の指名手配写真を見て、本人ではないかと警察に通報したのです。
なぜリスクを冒してまで通い詰めたのか――それには「人恋しさ」や「日常への執着」があったのではないかと考えられています。長年の逃亡生活で人との絆に飢えていた福田和子にとって、常連として迎えてくれるその店は、数少ない“安心できる場所”だったのかもしれません。
福田和子の有名な口癖「危ない危ない」に見える素顔
「危ない危ない」というのは口癖か定かではありませんが、福田和子の代名詞とも言えるフレーズです。これは彼女が逃亡中、ちょっとしたことでつぶやいていた言葉で、周囲の人々の記憶にも強く残っています。ドラマやドキュメンタリーでも再現され、多くの人が印象深く感じたようです。
この口癖には、常に何かに怯えていた彼女の心情が表れていると見る向きもあります。一方で、その言い方や雰囲気が「どこか憎めない」「女優のようだ」と評されることもありました。計算か素か――それは分かりませんが、福田和子という人物の二面性を象徴する言葉には違いありません。
まとめ:福田和子の人生に見る“逃げられないもの”
福田和子の人生は、まさに“逃げ続けた女”という言葉に尽きます。しかし、15年にわたる逃亡の末に彼女が迎えたのは、孤独と絶望に満ちた最期でした。捕まった後の福田和子は、それまでの強気な態度とは打って変わって、どこか諦めたような雰囲気を漂わせていたと言われています。
どんなに姿を変えても、名前を変えても、罪からは逃げきれない。彼女の人生が教えてくれるのは、人間の業の深さ、そして“本当の自分”から逃れることはできないという厳しい現実です。だからこそ、今もなお福田和子という存在は、人々の記憶に焼き付いて離れないのでしょう。